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靴下の町 - 靴下・ソックス・ストッキングの製造販売 株式会社 三笠

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  • 靴下の町広陵町!

    作成日2010年01月08日(金)
    ab7136b23a79bfb31a416e4a79d208f0.jpg 昨日は、せっかく関西方面へ来たので、奈良の親戚のお墓参りと下請けの靴下工場へ新年の挨拶に行って 来ました。 今日の写真は、奈良県北葛城郡広陵町にある看板です。 私の母方の親戚殆どが、今でもこの町で暮らし靴下関係の色々な仕事をしているのですが、昨日は本家の 息子(私の従兄弟)が、この地域の靴下組合の理事長をしているので、従兄弟に会って新年の挨拶と、一緒 に祖父と祖母そして叔父の墓参りに行きその後に、大和高田のストッキングの下請け工場と靴下工場を廻っ てから帰りました。 広陵町と大和高田市の地域は全盛期に、日本で消費する靴下の約70%近く生産していました。 現在では価格の安い海外商品の影響で生産量が減りましたが、今でも多くの靴下工場とストッキング工場が 海外製品に真似出来ない素材と品質の商品を開発して頑張っています。 奈良へは今でも年に1回程度は来るのですが、ここへ来ると二十数年前に大和高田の靴下工場で2年間修行 していた時の事を思い出します。 最初は、機械の騒音と綿の糸ほこりの中での毎日12時間労働!しかも当時は当然週休1日でしたし仕事の 内容は、機械の掃除と重たい糸を運んで、糸を切らさないで繋ぐ単純でも結構大変でした。 しかも家に帰れば周りが田んぼの一軒家に一人ぼっちでしたので、親に内緒で、月に何度か土曜の夜に車で 横浜まで帰って友人と遊んでから日曜の夜に戻るという生活でした。 絶対すぐに辞めてやろう!と思いましたが、そんな生活が約1年続いた頃に高校時代の友人が大阪の調理師 学校へ通うと言う事で、私の貸りている大和高田の一軒家で友人と2人での生活になり生活が一転し、仕事 も少し機械を調整する事が出来るようになり、なんとか予定通りの2年間の任期を終えた後に現在の会社へ 三笠へ就職して営業マンとしての生活がスタートしました。 あの当時は本当に体力があったと自分自身でも感心します。 しかし現在は、体力を使わなくなった分が脂肪となり当時より30Kgも体重が増えてしまいました。