MENU

大和高田 - 靴下・ソックス・ストッキングの製造販売 株式会社 三笠

header logo

フリーダイヤル ナオクツシタ 0120-709240 月曜~金曜(祝祭日を除く)午前9:00~午後5:00

Facebook Instagram header shopping230 40

English About Us

header tel Facebook Instagram English About Us header shopping05

  • 大和高田の凄いところ!

    作成日2025年05月16日(金)

    今日は、明日開催予定の「めんかちゃんプロジェクト 種まき祭」に向けて、奈良工場にやってきました。

    天気が少し心配ですが、準備は着々と進んでいます。(写真)

    雨天決行予定ですが、ご参加予定の方々には、畑がぬかるみ足元が悪くなる事が予想されるで、明日の状況を見てからキャンセル頂いて構いません。

    またキャンセルの連絡も不要です。

    皆様の安全を第一に考えております。

    ご参加される方は、どうぞお気を付けてお越しください。

    2025tane

    先日、大和高田市立陵西小学校の先生からご連絡をいただきました。

    現在、同校では「大和高田市のすごいところ」というテーマで社会学習を進めているとのこと。

    その中で、偶然通りがかった工場建設予定地前に掲げられた「めんかちゃんプロジェクト」の看板に興味を持ち、先生が工場を訪ねてきてくださいました。

    そのご縁で、三笠奈良工場の田垣内工場長が陵西小学校にお伺いし、生徒の皆さんに“大和高田と綿花の歴史”についてお話しすることになりました。

    実はこの地・大和高田は、かつて日本有数の綿花の産地でした。

    江戸時代には全国に名を馳せ、明治時代になるとその基盤を活かして紡績業が大きく発展します。

    明治29年(1896年)には「大和紡績株式会社」が創立。近鉄大和高田駅の東側に広がる広大な敷地に、最新鋭の設備を備えた工場が建設されました。

    赤レンガ造りの工場は当時としては珍しい洋風建築で、この地域で最初の近代建築とも言われています。

    その後、「大日本紡績株式会社」から「ユニチカ」と社名を変え、昭和52年(1977年)に閉鎖されるまでの約80年の間、高田の産業を支えるシンボルとして多くの人に親しまれてきました。

    工場内には大きな寮やテニスコートも整備され、最盛期には2,000人以上の女性工員が全国から集まりました。

    休憩時間になると、彼女たちは商店街に買い物やおしゃべりに繰り出し、まちのにぎわいにも貢献していたそうです。

    女性の就労と地域の商業発展が、この工場によって大きく前進したと言っても過言ではありません。

    現在、この地には大型商業施設や総合体育館、マンションが立ち並び、往時の面影はわずかに残るのみですが、駅周辺の赤レンガ調のデザインや記念碑、説明板が、その歴史を静かに伝え続けています。

    こうした歴史を、次の世代へ語り継いでいくことも、私たち地元企業の大切な役割のひとつだと感じます。

    子どもたちの目に「めんかちゃんプロジェクト」や私たちの活動がどう映るのか、これからの授業がとても楽しみです。

  • 今更日本工場なの?

    作成日2010年12月22日(水)
    b88ca853b7035b9750a334bec7caa307.jpg ここ数年上海で生産拠点を作る事を考えていましたが、急激な変化で現時点では色々な面で 中国工場建設は大変難しくなっています。 一昨日大阪へ商談に来たので、早めに出発して靴下の産地である奈良県大和高田と広陵町 周辺へ行き廃業等で使わなくなった工場は無いか調べていたら、結構安い価格の物件が出て いたので、昨日もう一度大和高田へ行き3物件を見学して来ました。 「なんで今更日本に工場なんて作るんですか?みんな仕事無くて廃業してるのに…」と言われ ましたが、靴下工場を始めるには、原料・資材・人材等を考慮すると最高の条件だと思えたの ですが、次回の全体会議でスタッフの意見を聞いてみようと思います。 写真は今日行った貸工場内部ですが、配線もされているので機械を置けば直ぐにOK! 今日は朝の福岡発のJAL便で横浜に戻ります。
  • 衰退する大和高田!

    作成日2010年12月21日(火)
    3f031f7e15236dc091e41b6e02dc073b.jpg 日本一の靴下生産地である奈良県の大和高田と広陵町へ行って来ました。 写真は、大和高田の中心にあるオークタウンというショッピングセンターで、以前は核テナントにダイエーが 入っていたのですが、現在は撤退してありません。 もう一つ高田市駅という所にもニチイの大型店があったのですが、現在は無くなり商店街を歩いても殆んど 人通りが無く、オークタウンも閑散としていました。 私が、靴下の製造の勉強で青春時代を過ごした街はすっかり淋しくなって残念です。 でもオークタウンは、明石家さんま・島田伸介さんが一緒に営業で来た事もある思い出の場所だとさんまさん トークで聞きました、ですからある意味パワースポットかも! 昨日の夕方大阪で商談があり今は大阪のホテルですが、これからもう一度大和高田へ行きます。
  • 靴下の町広陵町!

    作成日2010年01月08日(金)
    ab7136b23a79bfb31a416e4a79d208f0.jpg 昨日は、せっかく関西方面へ来たので、奈良の親戚のお墓参りと下請けの靴下工場へ新年の挨拶に行って 来ました。 今日の写真は、奈良県北葛城郡広陵町にある看板です。 私の母方の親戚殆どが、今でもこの町で暮らし靴下関係の色々な仕事をしているのですが、昨日は本家の 息子(私の従兄弟)が、この地域の靴下組合の理事長をしているので、従兄弟に会って新年の挨拶と、一緒 に祖父と祖母そして叔父の墓参りに行きその後に、大和高田のストッキングの下請け工場と靴下工場を廻っ てから帰りました。 広陵町と大和高田市の地域は全盛期に、日本で消費する靴下の約70%近く生産していました。 現在では価格の安い海外商品の影響で生産量が減りましたが、今でも多くの靴下工場とストッキング工場が 海外製品に真似出来ない素材と品質の商品を開発して頑張っています。 奈良へは今でも年に1回程度は来るのですが、ここへ来ると二十数年前に大和高田の靴下工場で2年間修行 していた時の事を思い出します。 最初は、機械の騒音と綿の糸ほこりの中での毎日12時間労働!しかも当時は当然週休1日でしたし仕事の 内容は、機械の掃除と重たい糸を運んで、糸を切らさないで繋ぐ単純でも結構大変でした。 しかも家に帰れば周りが田んぼの一軒家に一人ぼっちでしたので、親に内緒で、月に何度か土曜の夜に車で 横浜まで帰って友人と遊んでから日曜の夜に戻るという生活でした。 絶対すぐに辞めてやろう!と思いましたが、そんな生活が約1年続いた頃に高校時代の友人が大阪の調理師 学校へ通うと言う事で、私の貸りている大和高田の一軒家で友人と2人での生活になり生活が一転し、仕事 も少し機械を調整する事が出来るようになり、なんとか予定通りの2年間の任期を終えた後に現在の会社へ 三笠へ就職して営業マンとしての生活がスタートしました。 あの当時は本当に体力があったと自分自身でも感心します。 しかし現在は、体力を使わなくなった分が脂肪となり当時より30Kgも体重が増えてしまいました。