メニュー
ホーム
ホーム
三笠の技術
三笠の技術
自社工場紹介
自社工場紹介
工場設備紹介
工場設備紹介
企画・デザイン
企画・デザイン
品質管理
品質管理
物流センター紹介
物流センター紹介
中国検品工場紹介
中国検品工場紹介
ISOへの取り組み
ISOへの取り組み
製品紹介
製品紹介
製品紹介
製品紹介
婦人
婦人
紳士
紳士
キッズ
キッズ
5本指
5本指
健康・スポーツ
健康・スポーツ
バラエティ
バラエティ
企業情報
企業情報
社長挨拶・経営理念
社長挨拶・経営理念
会社概要
会社概要
アクセス情報
アクセス情報
企業沿革
企業沿革
事業所紹介
事業所紹介
ブログ
ブログ
お問い合わせ
お問い合わせ
プライバシーポリシー
プライバシーポリシー
MENU
大和高田 - 靴下・ソックス・ストッキングの製造販売 株式会社 三笠
自社工場紹介
工場設備紹介
物流センター紹介
中国検品工場紹介
ISOへの取り組み
製品紹介
婦人
紳士
キッズ
5本指
健康・スポーツ
バラエティ
社長挨拶・経営理念
会社概要
アクセス情報
企業沿革
事業所紹介
プロフィール
代表取締役 甘利 茂伸
美咖莎服饰贸易(上海)有限公司を2006年12月に会社設立し服飾中国製品の輸入業務を行っています。
カテゴリ
上海
(665)
横浜
(1253)
中国国内出張
(97)
中国以外出張
(24)
日本の休日
(59)
中国の休日
(26)
その他
(207)
上海万博
(8)
移動日
(189)
展示会
(89)
奈良
(248)
最新の記事
よい仕事おこしフェアに出展中です!
ロンドン出張を終えて
ISPO MINICHへ出発
イタリアデビュー!
国内綿花栽培、高まる関心に期待!
近未来のタクシーを体験して来ました。
第五回絵画コンクール 三笠賞受賞作品
同窓生との縁が紡ぐ出会い!
社歌コンテストに応募致しました。
試掘調査が行われました。
Home
大和高田
今更日本工場なの?
作成日2010年12月22日(水)
ここ数年上海で生産拠点を作る事を考えていましたが、急激な変化で現時点では色々な面で 中国工場建設は大変難しくなっています。 一昨日大阪へ商談に来たので、早めに出発して靴下の産地である奈良県大和高田と広陵町 周辺へ行き廃業等で使わなくなった工場は無いか調べていたら、結構安い価格の物件が出て いたので、昨日もう一度大和高田へ行き3物件を見学して来ました。 「なんで今更日本に工場なんて作るんですか?みんな仕事無くて廃業してるのに…」と言われ ましたが、靴下工場を始めるには、原料・資材・人材等を考慮すると最高の条件だと思えたの ですが、次回の全体会議でスタッフの意見を聞いてみようと思います。 写真は今日行った貸工場内部ですが、配線もされているので機械を置けば直ぐにOK! 今日は朝の福岡発のJAL便で横浜に戻ります。
衰退する大和高田!
作成日2010年12月21日(火)
日本一の靴下生産地である奈良県の大和高田と広陵町へ行って来ました。 写真は、大和高田の中心にあるオークタウンというショッピングセンターで、以前は核テナントにダイエーが 入っていたのですが、現在は撤退してありません。 もう一つ高田市駅という所にもニチイの大型店があったのですが、現在は無くなり商店街を歩いても殆んど 人通りが無く、オークタウンも閑散としていました。 私が、靴下の製造の勉強で青春時代を過ごした街はすっかり淋しくなって残念です。 でもオークタウンは、明石家さんま・島田伸介さんが一緒に営業で来た事もある思い出の場所だとさんまさん トークで聞きました、ですからある意味パワースポットかも! 昨日の夕方大阪で商談があり今は大阪のホテルですが、これからもう一度大和高田へ行きます。
靴下の町広陵町!
作成日2010年01月08日(金)
昨日は、せっかく関西方面へ来たので、奈良の親戚のお墓参りと下請けの靴下工場へ新年の挨拶に行って 来ました。 今日の写真は、奈良県北葛城郡広陵町にある看板です。 私の母方の親戚殆どが、今でもこの町で暮らし靴下関係の色々な仕事をしているのですが、昨日は本家の 息子(私の従兄弟)が、この地域の靴下組合の理事長をしているので、従兄弟に会って新年の挨拶と、一緒 に祖父と祖母そして叔父の墓参りに行きその後に、大和高田のストッキングの下請け工場と靴下工場を廻っ てから帰りました。 広陵町と大和高田市の地域は全盛期に、日本で消費する靴下の約70%近く生産していました。 現在では価格の安い海外商品の影響で生産量が減りましたが、今でも多くの靴下工場とストッキング工場が 海外製品に真似出来ない素材と品質の商品を開発して頑張っています。 奈良へは今でも年に1回程度は来るのですが、ここへ来ると二十数年前に大和高田の靴下工場で2年間修行 していた時の事を思い出します。 最初は、機械の騒音と綿の糸ほこりの中での毎日12時間労働!しかも当時は当然週休1日でしたし仕事の 内容は、機械の掃除と重たい糸を運んで、糸を切らさないで繋ぐ単純でも結構大変でした。 しかも家に帰れば周りが田んぼの一軒家に一人ぼっちでしたので、親に内緒で、月に何度か土曜の夜に車で 横浜まで帰って友人と遊んでから日曜の夜に戻るという生活でした。 絶対すぐに辞めてやろう!と思いましたが、そんな生活が約1年続いた頃に高校時代の友人が大阪の調理師 学校へ通うと言う事で、私の貸りている大和高田の一軒家で友人と2人での生活になり生活が一転し、仕事 も少し機械を調整する事が出来るようになり、なんとか予定通りの2年間の任期を終えた後に現在の会社へ 三笠へ就職して営業マンとしての生活がスタートしました。 あの当時は本当に体力があったと自分自身でも感心します。 しかし現在は、体力を使わなくなった分が脂肪となり当時より30Kgも体重が増えてしまいました。