今日は、明日開催予定の「めんかちゃんプロジェクト 種まき祭」に向けて、奈良工場にやってきました。
天気が少し心配ですが、準備は着々と進んでいます。(写真)
雨天決行予定ですが、ご参加予定の方々には、畑がぬかるみ足元が悪くなる事が予想されるで、明日の状況を見てからキャンセル頂いて構いません。
またキャンセルの連絡も不要です。
皆様の安全を第一に考えております。
ご参加される方は、どうぞお気を付けてお越しください。

先日、大和高田市立陵西小学校の先生からご連絡をいただきました。
現在、同校では「大和高田市のすごいところ」というテーマで社会学習を進めているとのこと。
その中で、偶然通りがかった工場建設予定地前に掲げられた「めんかちゃんプロジェクト」の看板に興味を持ち、先生が工場を訪ねてきてくださいました。
そのご縁で、三笠奈良工場の田垣内工場長が陵西小学校にお伺いし、生徒の皆さんに“大和高田と綿花の歴史”についてお話しすることになりました。
実はこの地・大和高田は、かつて日本有数の綿花の産地でした。
江戸時代には全国に名を馳せ、明治時代になるとその基盤を活かして紡績業が大きく発展します。
明治29年(1896年)には「大和紡績株式会社」が創立。近鉄大和高田駅の東側に広がる広大な敷地に、最新鋭の設備を備えた工場が建設されました。
赤レンガ造りの工場は当時としては珍しい洋風建築で、この地域で最初の近代建築とも言われています。
その後、「大日本紡績株式会社」から「ユニチカ」と社名を変え、昭和52年(1977年)に閉鎖されるまでの約80年の間、高田の産業を支えるシンボルとして多くの人に親しまれてきました。
工場内には大きな寮やテニスコートも整備され、最盛期には2,000人以上の女性工員が全国から集まりました。
休憩時間になると、彼女たちは商店街に買い物やおしゃべりに繰り出し、まちのにぎわいにも貢献していたそうです。
女性の就労と地域の商業発展が、この工場によって大きく前進したと言っても過言ではありません。
現在、この地には大型商業施設や総合体育館、マンションが立ち並び、往時の面影はわずかに残るのみですが、駅周辺の赤レンガ調のデザインや記念碑、説明板が、その歴史を静かに伝え続けています。
こうした歴史を、次の世代へ語り継いでいくことも、私たち地元企業の大切な役割のひとつだと感じます。
子どもたちの目に「めんかちゃんプロジェクト」や私たちの活動がどう映るのか、これからの授業がとても楽しみです。